視覚毒

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  • #409
    ヒヒヒ
    参加者

     目から飛び込む毒があるという。目から飛び込み人を破壊する、そういう毒が。

     待ち合わせは南町田グランベリーパーク駅のホームだった。改札のそばに立つ世界一有名なビーグル犬の前で立っていると、電車から大勢の乗客が降りてくる。雑踏の中に背の高い赤毛の女が見えた。
     2048年の1月3日。その日、会社の同期である藤野紅(べに)と買い物をする約束をしていた。去年、入社後初めての賞与を何に使おうかという話になって、それなら買い物に行こうということになったのだ。妹も連れてくると言っていたが……。
     目の前に、紅と、紅に瓜二つの女性が立つ。
    「もしかしなくても、双子?」
    「驚いた?」いたずらっ子のように紅が笑う。「スイって呼んで。翡翠の翠」
    「よろしくお願いします」と言って翠がおしとやかに頭を下げる。涼しげな目におしゃれなめがねをかけていたが、それを外したら姉と見分けがつかないほど似ていた。

     モールは買い物客でいっぱいだった。荷物持ちとして連れられてきたヒューマノイドの姿もある。大半はいかにもロボットという見た目だが、去年、人間とほとんど見分けのつかない機体が相次いでリリースされたので、ひょっとしたら人間よりもヒューマノイドのほうが多かったのかもしれない。人ごみの中、背中に装備されている緊急停止ボタンを押された個体が機能を停止してしまったとかで、ちょっとした騒ぎが起きていた。
    「誰かやめましょうって言わないのかな、停止ボタンを背中に付けるの」
     俺が言うと、
    「体の前にボタンをつけると、押さなきゃいけない時に困るそうですよ」
     翠が困ったように微笑んだ。こういう表情は、紅はあまりしないなと思った。
    「押すようなことなんてないけどね」
     紅があっけらかんと言う。

     それから2時間、気の向くままにモールを歩いた。
    「翠さん何も飲んでなくない? 大丈夫?」と聞くと
    「体質なので」翠は涼しい顔で言う。
    「ねえ、猫カフェ!」
     紅が指さす先、3階の窓に「猫」と書いてある。その隣には所属猫キャストの画像が空中投影されており……
    「フェレットが一匹混ざってるんだが?」
    「猫キャストなんだから猫だよ」
     そう言い張る紅を無視して、翠が何かを見つめていた。
     それは柱に掲示された紙のポスターだった。辰の絵の横で有名人が笑っている。何のポスターだろうと思った瞬間、翠が振り返りめがねがずり落ちるのも構わず口を大きく開いた。
     とてつもない金切り声。
     音量最大でハウリングするマイクが出すような不快な高音。
     立っていられない。周囲の人々が耳を塞いでしゃがみ込む。
     紅が駆け寄り激しく翠を揺するが収まらない。
     人間が出せるとは思えない、とんでもない高音と大音量だ。
     止めなきゃ。
     気力を総動員して立ち上がり、翠の背中の真ん中を突き飛ばすように押す。
     翠は背をのけ反らせたが、すぐに体勢を立て直し奇妙なほどゆっくりとした動作で立膝をつく。信じられなかった。それは緊急停止したヒューマノイドが取る姿勢だった。

     騒ぎは「ヒューマノイドの誤作動」ということで決着し、紅と俺はモール側が手配した修理業者のミニバンに乗って工場へ向かうことになった。異常行動を起こして緊急停止させられたヒューマノイドは国が認定した工場の中でなければ再起動させられない。
     翠をミニバンの荷台に横たえてからというもの、紅は固く口を結んだまま何も言わない。窓から長津田駅前に建設中のタワーマンションが見える。独居老人向けの物件で、全室に世話用のヒューマノイドが付いてくるらしい。家族代わりにする人もいるのだろうか。
     ぼんやりと考えていると、
    「おじいちゃんが連れてきてくれた子でね」
     紅がか細い声で話し始めた。
    「親、小さいころに死んじゃったから、寂しくないようにって……」
    「そっか」
    「私だけ年を取るのが悲しくて。この前貯金を崩して、なんていうの……改修か。機械だもんね、してもらったんだ」
     紅は1年前に撮ったという写真を示す。写真に写る23歳の紅は今と変わらないが、隣に座る翠は幼く中学生くらいで、人形みたいに見えた。
    「今まで、あんなことあったのか」
     紅がぶんぶんと首を振る。
    「なんで……? あんな何もないところで」
     すると、バンの後部座席で作業をしていた業者の男性が話に入ってきた。
    「しかくどくと思われます」
     視覚の毒と書くらしい。
    「問題のポスターを分析しました。一見ただのポスターですが、実はヒューマノイドにしか見えない“模様”が描かれているんです」
    「模様だけであんなことになるんですか?」
    「パターン、配色、提示の仕方など複数の条件を満たす必要がありますが、機械を誤作動させてしまう模様は実在します。ええっと、スマホを壊す文字って聞いたことないですか?」
     俺は紅と顔を見合わせる。
    「知ってたら驚きだよ」と、運転席から年かさの女性が言う。「それが流行ったのは2020年。すぐにメーカーが対策したから、知っている人のほうが珍しい」
    「俺、生まれてないです……」
    「ええっと、とにかく」と業者の男性。「その文字を進化させたのが視覚毒です。ヒューマノイドにとって有害なパターンを、人間には気づかれないように忍ばせておく。いわば“目から飛び込む毒”だから、その存在に気付くことが難しい。気づいた時にはやられてる」
     それは変だ。
    「どうして彼女だけが?」
     あれだけ多くのヒューマノイドがいたのに。
    「この模様、半年前にばらまかれた型です。すぐ予防パッチがネットで配布されたので、それがあれば症状は出ない」
     あっ、と紅が声を漏らす。
    「多分、それ持ってないです」
    「どうして?」と業者。「ネットに接続する機能はついていましたよ?」
    「翠をインターネットに接続させないようにしてたから」
     ええ……と、業者が苦い顔をする。
    「だって! 翠を改修する羽目になったの、不正アクセスに遭ったからなんです。ネットを切ればウィルスにもかからないって聞いて、だから、なのに、なんで……目から飛び込む毒!? そんなのどうすればいいの!?」
    「なるほどね」
     取り乱しかけた紅に、運転席から優しい声がかかる。
    「それなら話は簡単だ。ヒューマノイドは人間よりも免疫が弱いけれど、その分回復も早いんだ」
     紅が顔を上げる。目じりで涙が光った。

     それから1か月後、たまプラーザ駅の喫茶店で待ち合わせたときには、紅も翠もすっかり元気になっていた。後遺症などもないという。
    「ご迷惑をおかけしました」
     と言って頭を下げる翠は、姉よりもしっかりして見える。そう言ったら紅がすねてしまったが。
     紅が、コーヒーに砂糖をもらい損ねたと言って席を立つ。
     翠が顔を寄せてきた。
    「こういうの、皆さんの感覚でどうなのか聞いておきたいんですけれど」
     妙に秘密めかして言うので、ドキドキしてしまう。
    「紅が『頭が良くなる音楽』っていうのを買って聞くようになったんです。神経学を応用したって触れ込みの、台風の中でバイオリンを鳴らしてるみたいな音楽。これって普通ですか?」
     何も言えなくなった俺を見て、彼女は困ったように微笑んだ。
    「ありがとうございます。大体わかりました」
     聴覚毒。そんなものがなければいいが。

    #467
    なかまくら
    参加者

    金槌太郎(仮)です。
    おお・・・。SFですね。こういうの大好きです。視覚毒から、原田マハの「キネマの神様」が一瞬頭をよぎっていきました。内容はまったく違いますが、視覚から多大な影響を与えるという意味で、です。
    視覚毒にやられる翠。気になるお相手の紅。でももしかして、聴覚毒を心配するということは紅も・・・? と、なにやらミステリアスな終わり方で、気になる作品でした。
    作者さんは、うーん、なかまくらさん? ・・・いや、東京の駅の描写の解像度が高く、アンドロイドをテーマに描かれるのは、きっとヒヒヒさんではないでしょうか。

    #477
    けにお
    参加者

    未来感溢れる作品です。

    アンドロイドを狂わす模様の視覚毒。
    それを防ぐためネットでパッチを。
    しかしネットをつなぐとウイルスが。

    世界観も作れていて、いいねー

    作者は、金槌さんと同意見で、なかまくらさんか、ひひひさんのいずれかだろう。

    どっち寄りかなあ。なんとなく、ひひひさんかなあ。

    #494
    ヒヒヒ
    参加者

    #文明3の住人です
    タイトルである「視覚毒」を中心に「ヒューマノイドの緊急停止」や「ヒューマノイド付きのマンション」など、ヒューマノイドが普通にいる世界の物語、良いですね。狭い日本で暮らすヒューマノイドの背中にボタンをつけるのが妥当なのかとか、想像が膨らみます。頬につけて、いざとなったらビンタして止めるとか……かわいそうだな。

    #500
    茶屋
    参加者

    ポテト男爵です
    SFな世界観でしっかりとした物語が染みます。
    ヒューマノイドが人間に近づくならば、ヒューマノイドが感染する毒は人にもかかるようになるのか、そんなことを考えました。ヒヒヒさんの作品だと思います。

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